春期講習と、小学コース・中学コースのテストを終えた翌日の4月4日、泉自然公園へ行ってきました。
 前日までの春を通り越す暖かさとは打って変わり、冬へ逆もどりした寒い日でした。このような天気には「日本のさくら名所100選」に選ばれている桜よりも、カタクリの花の方が似合っていそうです。
 手袋を持ってくればよかったと後悔しながら、傘をさして木立の間を縫って行きますと、イチリンソウやニリンソウの他、名前が分からない様々な花が出迎えてくれました。さらに林を抜けて行きますと、淡い薄紅色をした花が斜面に点在しています。カタクリの花です。
 今年は3月の気温が高くて開花が早かったため、花が散ってもおかしくない時期でした。花の落下をくい止めてくれたと思えば、今日の肌寒さに感謝しなければなりません。もう少し早めに来ることができれば、紫色の優美な姿を見られたのでしょうが、雨に打たれて色を薄めながらも、精一杯花びらを保ち続けようとしている姿に、心が引き寄せられていきます。
 このカタクリの花が一輪咲くまでに、どれほど時間が経過してきたのでしょう。


 花が散って二週間ぐらい過ぎますと、葉も枯れ始め、実がふくらみだします。1〜1.5pぐらいになりますと、その実が割れます。中から30〜40粒ぐらいの種が、地面にこぼれ落ちます。するとアリが集まって来て、一匹が一粒ずつ巣穴に運んでいきます。種のまわりについている好物を味わうと、アリは種本体を巣穴の周りに散らばします。
 こうして拡散した種は地中で冬を越し、次の年に松葉ぐらいの葉を出します。その葉で二週間ほど光合成し、鱗茎に養分をたくわえると、葉は枯れていきます。
 翌年、前年よりは少し広い葉を出し、光合成をして鱗茎に養分をためると、またもや二週間ほどで葉は枯れてしまいます。
 来る年も、来る年も、少しずつ葉を大きくし、養分をたくわえる鱗茎を太く深くしていくものの、葉は二週間ほどで枯れるくり返しが続きます。
 毎年一枚だけだった葉が、7〜8年たちますと二枚になります。すると茎が15pぐらい伸び、4〜5pの花を咲かせます。中には10年を過ぎて咲き出す場合もあるようです。


 種が落下してから10年ほどの間、地表から出した葉が陽光を浴びることができなければ、カタクリは枯れてしまいます。毎年早春の約二週間という限られた短い期間に、陽光を充分に浴びるためには、地表の陽当たりがよくなければなりません。落ち葉がたまっていたり、草木がはびこったり、笹が育ってしまえば、地表から出た葉に陽光は届きません。
 カタクリが、深山に見あたらず、里山に見かけられるのは、落ち葉集めや下草刈りなどで人の手が加わった方が、カタクリの生育にとって好ましいからでしょう。


 千葉はカタクリが分布している南の限界(南限)にあたると言われています。カタクリは、本来寒冷な地方の植物です。その本場のカタクリを見るために、4月18日、秋田県の西木村を訪ねました。
 秋田内陸縦貫鉄道の八津駅で下車し、集落西側の丘に登りますと、紫色の花、また花、…、カタクリの花々が大地を覆っています。天を仰げばどこまでも青い空、地を見渡せば濃淡様々なカタクリの群生。これぞ北国の早春、花の春です。
 「一番咲きコース」を歩いて行きますと、木立の陰になっている窪地には雪が残っています。暖冬にもかかわらず、3月にはドカ雪が降ったとか。白雪に紫花の対称もまた格別です。
 葉をすっかり落とした栗の木と木の間には、陽光が燦々と降り注いでいます。落ち葉はかたずけられ、栗栽培のために肥料もまかれるという好条件と、集落の方々の手厚い保護活動が効を奏して、日本一と言われるカタクリのみごとな群生がつくり出されています。
 「一番咲きコース」から始まり、いくつものコースを経て「山辺遅咲きコース」まで、4月から5月にかけて、カタクリは西木村の里から山辺へ春の到来を告げていきます。


 千葉に戻ると、4月3日に行ったテストの成績表が届いていました。その中に思いもかけない朗報がありました。中学一年の数学で、二人の塾生が100点満点をとっていたのです。もちろん関東地方で第一位です。
 二人のうち、Aさんは前回の1月テストで「507位」から今回の「1位」へ、Bさんは前回の「433位」から今回の「1位」へ、ともに驚異的な上昇です。
 黒板に張り出しておいた、西木村のカタクリの群生の大きなポスターを背景にして、大輪の花が咲き出しました。

          参考資料    『わくわく いずみ 自然ウォッチング』    千葉市みどりの協会
                    『カタクリの郷 西木村』     八津・鎌足カタクリ福寿草保存会


カタクリの花